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一般質問R3.3④

間もなく、東日本大震災、福島第一原発の事故から10年。福井の未来を考えるには、どこよりも福島の状況から教訓を得る必要があります。

 10年前の3月11日、福島第一原発は津波で全電源喪失、原子炉内や核燃料プールに冷却水を送れなくなり、核燃料のメルトダウンが始まります。そして大量の水素が発生、翌12日、1号機原子炉建屋が水素爆発、14日には3号機、15日には4号機で建屋の水素爆発が起きました。

実はこの15日、私は衆議院会館におりました。全国災害ボランティア議員連盟の事務局長でしたので、広範囲に及ぶ津波被災地の災害ボランティア活動に関し、「支援漏れ・支援格差を極力なくす戦略」といった内容の提言書を、会長の故長島忠美衆議院議員、東角操元福井県議らと、国に出すためでした。
その時、議連会員のある国会議員が
「自分たちに被災地に行くなという指令が来た。何故だろうか、何か空気がおかしいんだよね。」とおっしゃったのを記憶しています。
 
福島原発事故独立検証委員会の調査・検証報告書によると、実はその15日、国では、原発2号機が、「このままでは圧力容器が破壊」という、1、3、4号機の建屋爆発とは桁違いに深刻な事態が想定されていたとのことです。ベントをすべて失敗していたからです。結果的に爆発は免れたものの、炉心損傷で大量の放射性物質が放出されてしまいました。
 しかし、そんな危険が迫っていたという情報は、表に出てはおりませんでした。

この時、福島の被災地はどうであったか。
私は、直接川内村の遠藤雄幸村長や、災対本部の課長にお話を伺っていますのでご紹介します。地図資料から、わが身・我が町に置き換えてお考え頂けると幸いです。

12日朝、第1原発から10キロ、第2原発から6キロに避難指示が出たということで、富岡町から町民8千人が川内村に避難してきた。それで、村内体育館や集会所で避難者対応をした。
13日には通信網がすべて途絶え、県庁災対とは防災無線ひとつ。食料・毛布の数を連絡していた。
そうこうしているうちの15日朝、遠藤村長は、枝野さんの記者会見で屋内避難指示が出たことを知ります。
「今の原発、よくない状況なんだとあらためて感じた。しびれた。」
「怖かったのは、13日ころまでマスコミも役場にいた。ところが気づいたらいなくなっていた。どうなのっていうのが15日ころのこと。」 
「さらに15日夜の対策本部では、富岡町から川内村に移ってきた警察本部が、『本部を川俣町に移す』と言った。守る立場の警察が先に避難するよとなり、ふざけるなと思った。」
結局、遠藤村長と富岡町長とで相談して避難することを決め、町民、村民皆で郡山市のビックパレットを目指して逃げたそうです。
その後、郡山市には、川内村と富岡町から避難された方々のための仮設住宅ができました。同じ敷地に隣接したプレハブで、今の話は、事故から10か月後の平成24年1月にそこを訪問し、伺ったものです。

以上のように、原発の過酷事故の時、官邸周辺では、菅総理や班目原子力安全委員長ら、官邸の政治家、原子力安全保安院、原子力安全委員会が「最悪のシナリオ」を共有していたというのに、現地には何の情報も届かないままだった・・・オフサイトセンター要員は停電したからといち早く70キロ先の福島市に逃げ移って役に立たず・・・。
これが私の知る限りの事故直後の状況です。いざとなると、オペレートは無茶苦茶で現場蔑ろ。

あれから10年、ちょっとはましになっているのでしょうか?
北陸新幹線の加賀トンネルのひび割れ対応や、先の大雪対応ですら、対応の遅れや現地現場とそれらを支持・誘導する側の齟齬があり、結果、現場が混乱しています。災害は一つとして同じものはなく、マニュアルを超えて次々起きる事態に、関係機関が連携し「冷静に、適宜適切な対応をするか?できるのか?」が鍵です。

④ 福井では、いざというとき、関西電力など関係者間の速やかで正しい情報共有がなされるのか、現場に即した的確な判断がくだせるのか、誰が判断するのか能力があるのか、現場なのか東京の官邸なのか県なのか、責任もって現場へ避難指示がなされるのか、もし福井で原発事故が起きたら、ちゃんとオペレートできると確信もって言える状況にあるのかどうか、伺います。

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