予算特別委員会2「エネ計画は時期尚早」
細川
エネルギー基本計画であるが、日本一原発が集中立地している福井県の将来を左右する重大な計画だ。エネ調の会議の中で、残留リスクありでそれを世間にはっきり述べるということで合意している。しかし、残留リスクがある前提条件はまだ国民県民に十分周知されていないと思う。安全神話との決別との抽象的表現で、受け取る側にクリアに理解されにくいのだと思う。例えば、実際に、まだマスコミでも安全基準という誤解が生じやすい言葉を使用しているが、規制庁自身は、「私どもは絶対安全とか言うことは申し上げてない。規制に適合しているかの判断で、規制基準」と看板を付け替えている。また、先日知事は様々な前提という言葉を使ったが、つまりはシビアアクシデントも前提内で議論している意味だと理解した。だからこそ、避難訓練を重ねていると改めて納得したが、こういった理解というのは、まだ社会にはしっかり伝わっていないと思う。私達は、絶対安全だと説明されて原発を受け入れてきた。大事なことが十分周知されないまま物事が決まっていってはいけないと思う。エネルギー基本計画は、事実に則した十分な社会議論の上に成り立つべきであり、判断の前提条件すら国民に十分伝わっていない現段階での決定は時期尚早と考える。
知事
福井県ではこれまで40年余り、原発立地の福井県に安全神話はないという姿勢のもとで原子力発電所の安全を国任せ事業任せにせず、福井県自らが昼夜を問わず厳しい監視をし、県民の安全安心を実現した。総合資源エネルギー調査会においても、原子力発電所のリスクはゼロでないということを前提にエネルギー政策について議論が行われている。飛行機でも車でもリスクはそれに応じて存在し、いかに無くしていくか、最少にするかということかという問題である。今回の政府案では、原子力が持つリスクや事故による影響、新たな規制基準や安全対策の状況などについて科学的根拠や客観的事実に基づいた方法を推進すると記述してある。政府は今後、早急に計画を閣議決定した上で、この内容について国民に対し丁寧に説明し、また、国が腰を引くことなく理解を積極的に求めていく必要がある。
細川
原発を受け入れるかどうか、昭和37年の県議会の中で、様々先輩議員の中から安全なのかという議論が何度も出ている。その時の県の答えは、「制御は安全だが、安全運転の点については、これは非常に三重四重の安全装置が出来ている。この点から、安全は完全である。」と言われている。何回もあるが、「多重防護は危険でない」とか、「絶対に事故がないようにチェックしている」とか、当時の昭和37年の県議会で議論されている。当時北知事は、「私の墓場は福井以外にない。慎重に望んでいる。」と、そこまで言っている。そのうえで、県民が受け入れる際の不安を払しょくするために、学者や映画を使って払しょくのPRに努めるとして、敦賀では大阪大学の浅田教授を呼んで、「原発は危険ではない」とか、「表面は2メートルの厚さのコンクリートだ」とか、「危険は全くない」とか講演もしている。実際、「広報敦賀」という広報紙で、『原発というのは難しい話でも恐ろしい話でもない、限りない幸福と繁栄をもたらす』という、不安払しょくのためのPRを当時している。だけど今、その前提が変わっているわけで、安全だと言われていた県民の私達に、「どうなっているのか」と、「安全だと受け入れたのにどういうことだ」と国に答えを求めてほしいし、私たちにもしっかり教えてほしい。そういう『私達も意識を変えなければいけない』ということが十分なされてからのエネルギー基本計画だと思う。
再度お尋ねするが、十分事実、全体が伝わってないうちに事柄が決まってしまうというのは、問題ではないか。
安全環境部長
昭和30年代の話を紹介いただいたが、実際に原子力発電所を受け入れてから様々なトラブルがあり、それゆえに全国に先駆けて安全協定を締結する、あるいは原子力安全対策案を設置するということで、事業者あるいは国に対して立地県の立場から様々な要請もしてきた歴史がある。原発立地の福井に安全神話はないという覚悟と決意の中、この40年やってきたことは理解してほしい。
細川
福井はいろいろあったので、国や事業者には任せておけないというのは分かるが、それをオブラートに包まれてきたようで、挙句の果ては福島の事故だったのではないか。あの事故は県民にとってはショックであったし、今までの価値観が大きく覆るようなことだ。国はもうはっきり危険性は残ると言っている。県としてもPRして、その上で県民も考えていかないといけない。