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2014年03月20日

予算特別委員会1「使用済み燃料など立地県の負担」

細川委員
資源エネルギー庁での総合エネルギー調査会の議事録を見て、基本政策分科会での知事の発言を拝読した。オールジャパンの視点で経済的な視点とかエネルギー安全保障についての発言が主だったと印象にある。先日の一般質問で、「道徳的・倫理的課題の側面から原子力行政に関して検討すべきだ」との質問に、「放射性廃棄物に対する消費地の分担と責任等幅広い観点から検討が行われた」と答えられたので、この週末、再度議事録を確認した。特に基本政策分科会の前身の総合文科会の方で、知事は、エネルギーの生産と消費について、
「何が課題であるのか、国民がもっと理解することが重要であるし、そのうえで分担と協力が必要である。発電の恩恵のみを享受し、負担を立地地域に押し付けるのでは、安倍総理がおっしゃっている、『苦楽を共にする、強い日本』にはならないのではないか。」
とその課題を述べていた。使用済み核燃料を消費地で貯蔵するように提言していた。立地地域の立場で、こう述べたことは本当に高く評価している。
しかし、その後も何度か会の中で、使用済み核燃料の消費地貯蔵は述べているが、残念ながら、委員会での議論は知事の課題的以上には反応がないと見受けた。一回だけ、他の委員から、
「福井県の皆さんの気持ちはよく分かります。消費地に作るべきだ、と思います。べきなんですが、そんなことをやっていたら間に合わない。発電所の安全のためにもオンサイドの暫定保管を。」
という意見が一回返ってきたと、私が見る限りそうでした。知事、立地自治体の知事としては、この使用済み核燃料の貯蔵の問題など、県民の負担に係る事柄の議論こそ大事だと考えるが、ご所見を伺う。
知事
原子力での基本問題の委員会での問題であるが、県民の負担になる事柄の議論が大事である。知事であるが、あくまで立地知事という基本的な立場でいろんな意見を述べた。中間貯蔵の問題であるが、県外消費地での中間貯蔵施設を立地すべきという意見については、誰が賛成とか反対とかを別にして、はっきりそう言うことだろうと言う委員が複数いることは事実である。本県は発電は引き受けてきたが、使用済み燃料まで引き受ける義務はないと、総合エネルギー調査会、及び放射線ワーキンググループ、これは今日夕方あり、石塚副知事が出席をする。国が前面に立って消費地に分担と協力を求めることを主張してきした。この結果、エネルギー基本計画の政府案では、発電所の敷地内外を問わず、新たな地点の可能性を幅広く検討しながら、中間貯蔵施設やかんしき貯蔵施設等の建設拡張促進するとともに、このための政府の取り組みを強化するということで、政府の基本的姿勢をここに出来たということになる。今後、この計画が閣議決定された際には、国がまだ設けてない使用済み燃料探索協議会を早急に設置して、消費立地の実現に向けて国に事業者消費自治体との議論を具体的に進めることが大事かと思う。
細川委員
長い間、高レベル放射性廃棄物の管理について安全にしなければならないというのは、後世にとって重い負担です。こういったことは地政学的問題と委員会の中では出ていたが、田舎にばかり負担を押し付けるというような、廃棄物だけではない、運転に関しても言えるが、この地政学的問題に関して、やはり立地の知事として廃棄物以外、事故が起こる可能性があるとなったわけだから、運転に関してもそうだが、この問題に対して本県の知事として、しっかり議論してほしいし、答えも持ち帰ってほしい。実際に地政学的問題に関して、答えというのは今のところないのでは。
安全環境部長
地政学的な議論という意味が良く分からないが、商業用原子炉13基を抱えている立地地域としては、やはり運転・発電のリスクに日々局面しているという実態を、消費地にも理解してもらうことが大事で、まして、消費地が消費した使用済み核燃料の貯蔵は、消費地そのものが負担するべきである。
細川
それはしっかり主張してほしい。委員会の議事録を見ていて、知事がせっかく廃棄物の問題を投げかけても、次の会議の時にはその話は繋がらない。無理もないと思う。この会議はそもそも経産省がやっているから、何か課題が委員の中から出て、その次の会議の時には経産省の事務方が投げかけられた課題に対して答えを用意して、次の会議が始まる。経産省の範疇の中では、こうした地政学的な問題であるとか、あるいは一般質問で言ったような倫理的な課題に対する資料というか答えを用意できないから、結局この会議というのはエネルギー政策の安定供給とか、コストの削減の観点は何回も繰り返されているが、そういう観点での、それが主たる議論での会議だったと感じる。一般質問で言ったが、逆に原発の問題は、安定供給とかコストの低減とか経済的な観点だけではないものが含まれるから、福井県の問題等を国にはしっかり話し合ってほしい。だから、一般質問で倫理委員会を設けたらどうかと質問をした。
経産省でやっているコスト中心、経済的な話し合いだけでは不十分だと思うが、どうか。
知事
コストや経済性だけを論じてはない。あらゆる方向から論じている。多少は傾聴があると感じるかもしれないが、そうではない。廃棄物については、今日もあるが、廃棄物をどう処理するかという委員会でさらにこうしたワーキンググループで論じあっている。
細川
県民の立ち位置で頑張っていただきたい。

予算特別委員会2「エネ計画は時期尚早」

細川
エネルギー基本計画であるが、日本一原発が集中立地している福井県の将来を左右する重大な計画だ。エネ調の会議の中で、残留リスクありでそれを世間にはっきり述べるということで合意している。しかし、残留リスクがある前提条件はまだ国民県民に十分周知されていないと思う。安全神話との決別との抽象的表現で、受け取る側にクリアに理解されにくいのだと思う。例えば、実際に、まだマスコミでも安全基準という誤解が生じやすい言葉を使用しているが、規制庁自身は、「私どもは絶対安全とか言うことは申し上げてない。規制に適合しているかの判断で、規制基準」と看板を付け替えている。また、先日知事は様々な前提という言葉を使ったが、つまりはシビアアクシデントも前提内で議論している意味だと理解した。だからこそ、避難訓練を重ねていると改めて納得したが、こういった理解というのは、まだ社会にはしっかり伝わっていないと思う。私達は、絶対安全だと説明されて原発を受け入れてきた。大事なことが十分周知されないまま物事が決まっていってはいけないと思う。エネルギー基本計画は、事実に則した十分な社会議論の上に成り立つべきであり、判断の前提条件すら国民に十分伝わっていない現段階での決定は時期尚早と考える。
知事
福井県ではこれまで40年余り、原発立地の福井県に安全神話はないという姿勢のもとで原子力発電所の安全を国任せ事業任せにせず、福井県自らが昼夜を問わず厳しい監視をし、県民の安全安心を実現した。総合資源エネルギー調査会においても、原子力発電所のリスクはゼロでないということを前提にエネルギー政策について議論が行われている。飛行機でも車でもリスクはそれに応じて存在し、いかに無くしていくか、最少にするかということかという問題である。今回の政府案では、原子力が持つリスクや事故による影響、新たな規制基準や安全対策の状況などについて科学的根拠や客観的事実に基づいた方法を推進すると記述してある。政府は今後、早急に計画を閣議決定した上で、この内容について国民に対し丁寧に説明し、また、国が腰を引くことなく理解を積極的に求めていく必要がある。
細川
原発を受け入れるかどうか、昭和37年の県議会の中で、様々先輩議員の中から安全なのかという議論が何度も出ている。その時の県の答えは、「制御は安全だが、安全運転の点については、これは非常に三重四重の安全装置が出来ている。この点から、安全は完全である。」と言われている。何回もあるが、「多重防護は危険でない」とか、「絶対に事故がないようにチェックしている」とか、当時の昭和37年の県議会で議論されている。当時北知事は、「私の墓場は福井以外にない。慎重に望んでいる。」と、そこまで言っている。そのうえで、県民が受け入れる際の不安を払しょくするために、学者や映画を使って払しょくのPRに努めるとして、敦賀では大阪大学の浅田教授を呼んで、「原発は危険ではない」とか、「表面は2メートルの厚さのコンクリートだ」とか、「危険は全くない」とか講演もしている。実際、「広報敦賀」という広報紙で、『原発というのは難しい話でも恐ろしい話でもない、限りない幸福と繁栄をもたらす』という、不安払しょくのためのPRを当時している。だけど今、その前提が変わっているわけで、安全だと言われていた県民の私達に、「どうなっているのか」と、「安全だと受け入れたのにどういうことだ」と国に答えを求めてほしいし、私たちにもしっかり教えてほしい。そういう『私達も意識を変えなければいけない』ということが十分なされてからのエネルギー基本計画だと思う。
再度お尋ねするが、十分事実、全体が伝わってないうちに事柄が決まってしまうというのは、問題ではないか。
安全環境部長
昭和30年代の話を紹介いただいたが、実際に原子力発電所を受け入れてから様々なトラブルがあり、それゆえに全国に先駆けて安全協定を締結する、あるいは原子力安全対策案を設置するということで、事業者あるいは国に対して立地県の立場から様々な要請もしてきた歴史がある。原発立地の福井に安全神話はないという覚悟と決意の中、この40年やってきたことは理解してほしい。
細川
福井はいろいろあったので、国や事業者には任せておけないというのは分かるが、それをオブラートに包まれてきたようで、挙句の果ては福島の事故だったのではないか。あの事故は県民にとってはショックであったし、今までの価値観が大きく覆るようなことだ。国はもうはっきり危険性は残ると言っている。県としてもPRして、その上で県民も考えていかないといけない。

予算特別委員会3「知事の姿勢」

細川
エネ調の会議で、60年運転延長について言及、リプレースの必要性、MOX燃料の使用について言及しているし、もんじゅ研究の位置づけ、放射性廃棄物の低量化減量化を幾度となく提起されてる。県民にはまだ、十分残留リスクはある、万が一というのがあることが周知されていない中、更にリスクが高い事柄を知事から推し進めようとしている姿勢には、あまりにも電力事業者寄りではないのかと感じる。残留リスク有りと、万が一ということはあるのだという前提条件が変わって、不安を感じている県民の目線に立つならば、立地自治体の知事が、県民が更にリスクを負いかねない原子炉の運転延長やリプレース、もんじゅ研究等、率先して推し進めるべきではないと思うがどうか。
知事
総合資源エネルギー調査会においては、わが国にとって基本的に原子力発電所がいるのか要らないのか、要るのであれば政府として今後どう取り組むのかについて国の方針を明確にするように求めてきた。福井県の原子力発電所に対する安全をいかに確保し、県民への理解をいかに図れるかという観点からの考えでもある。リプレース、もんじゅ研究など原子力発電所を推進するという立場というか、電力事業者と同じ立場でこのようなことを言っているわけでは全くない。そういう誤解はしてほしくない。
細川
今、不安というものが大きくある。それが、再稼働に理解が進まなかったりするところにあると思う。子供たちや女性の暴力防止とかの問題にあたる時に、「人には『安心』や『自信』、『自由』を得る権利がある。もしそれらを脅かすものがあるなら、それは『人権侵害である』、という(教える)。今まさに、あれだけの事故、福井県の日本一の集中立地のことを考えるときに『不安』である。アメリカのプログラムには『NO=嫌と拒否をする,』『GO=その場から逃げていく』,『TELL=相談する』親なり、教員なり、身近な人に相談しなさいという指導をする。県民の不安を、誰かに相談するとしたら県政だろう。知事だろう。議員かもしれない。
県民の不安を払しょくするということをぜひお願いしたいが、どうか。
知事
様々な努力をしているが、さらに一層原子力のいろんな実態、科学技術の様々な水準、あるいはそれを実際世界的に、また日本でどのような対応をしているか等については、これまで以上に様々な方法でお知らせし、理解をしていただくということと思っている。
細川
昨日の答えでも科学技術で乗り越えて解決していくと言っていたが、自然の力で想定外のことが起こるのではないかと、そのあたりは過信しないで行かなければならない。

予算特別委員会4「段階的避難の実効性」

細川
原子力災害から周辺住民を守る避難計画について伺う。原発には絶対の安全はないという前提で、私達はもっとリアリティを持って避難計画を練っていかなくてはならない。現在策定中の避難計画の大きな柱というのが「段階的避難」だ。事故の際にはまず5キロ圏内の人々が最初に避難し、5キロより外の人々は建物の中にとどまることになっている。その後、風向きや放射線量を考慮して順番に避難していく。この段階的避難によって住民の安全が守れるのか。先日NHKのクローズアップ現代「原発事故にどう備えるか」という番組の中で検証を行っていた。福島では実際に3キロ、10キロ、20キロと段階的避難指示が出されたが、実際には大渋滞が起きた。原因は、避難指示が出たエリアの外の住民も一斉に避難したため。原子力事故が想像以上に人々に不安を与えたと、段階的避難や屋内退避の混乱さを示して、現実本当に実効性があるのか疑問を呈していた。
以前「原子力災害においての災害時要援護者は、以前、子供や妊婦、子育て世代の若者ではないか」と質問し、「乳幼児や妊婦は災害時要援護者と位置付けられているので一般の住民より一段早く避難する」と答えをもらったが、子育て世代の若者に関しての回答は得てない。福島事故の際、富岡町の病院で看護師たちが患者に付き添うか、先に逃げるかの判断を迫られているが、その時若い看護師は看護師長に、「若い人は先に逃げなさい」と言われたから、先にバスに乗ったと言っている。これが道理だろうと思う。若い者や次の世代の者を安全な場所にいち早く逃がしたいと言う人の気持ちというものを踏まえないと、段階的避難や屋内退避も机上のものとなる。
再度伺うが、乳幼児や妊婦だけでなく、子供や子育て世代の若者も、一段早く避難する災害時要援護者に位置付けるべきではないか。
危機対策官
国の災害対策審において、避難の際に通常以上の時間がかかる高齢者、障害者、乳幼児等を一般の住民より一段階早く避難する施設敷地緊急事態要避難者というふうに位置付けていて、県の防災計画においてもその考え方に基づいたものになっている。この考え方に基づくと、乳幼児だけでなく、小中学生の18歳未満の児童生徒については、実際に逃げようとした時に、自ら車両等の避難手段が確保できないことも考えられるので、こういう方々については、施設敷地緊急事態要避難者に該当すると考えている。一方で、それ以上の若者、若者という定義がどこまでかと不明確ではあるが、若者ということだけで言うと、避難の実施に通常以上の時間がかかる、これが最も基本的な要件であるが、それには該当しないのではないかと考えている。こうした要件というのは段階避難をするために、避難に時間がかかる人は早く出そうという発想で作った制度であるので、それに基づいて広げていくと、いろんな考え方に基づいて際限なく対象が広がっていくとことにもなるので、今の制度、要件というものに基づいて避難計画を考えていきたい。
細川
青写真として段階的避難を出すというのは分かるが、実効性のあるものにしようと思ったときに、福島で起きたような人の心理状態とか動き、判断をしっかりと検証して反映していかないといけない。テレビでも言っていたが、看護師や警察官、消防の方たちが住民の命を守らなければという使命感に燃えて、結局自分の命をなくしてしまうというのは倫理的にどうなのか。被災地で見受けられるのは、行政マンが自分の家も被災しているのに、残って最後までやっていて健康状態が悪くなる。私が一番目についたのは行政マンの方だった。仕事なのか家族なのか判断に揺れることだとか、細かい人の想いというか気持ちというか、そういったところまでしっかり検証した上で、こういう計画を立てていかないと、結局描いた絵は良いけど、実際の人の行動は違うとなると失敗してしまう。これも倫調等を設けてテレビでも言っていたが、再度伺う。
危機対策官
先に申したのは、制度として全部の人を避難させるための仕組みとしては、時間のかかる人を先に避難させる。その後段階的に避難させるということで、最終的に全ての人を避難させるのに有効だということで説明をした。只、今細川委員が言うようにそれに基づいて皆さんが適切に行動するためには、それぞれの立場とか、それぞれの地域とかで、きめの細かな説明とかをその人たちに対してどういう不安を持っているのか、どういうふうなことがあればどういう情報が来るか、それに基づいてどう判断すればいいとか、制度・運用両方の面について、本当に人々の心の不安を取り除くようなきめ細かな対応が出来なければ、いくら制度を作っても、人が行動をしなければ実効性のないものとなるというのはその通りだと思う。我々もそこのところがある意味一番大切な、難しい課題だと感じている。そういったことを前提にこれから、関係市町と共に我々の計画を住民の方に理解してもらい、どういう不安があるのか、じゃ、どういう説明、指示を出せば、実際の時にどういうやり方をすれば理解をしてもらえるかということについては、関係市町と十分に協議をして対応していきたいと思っている。
細川
国にしっかり言っていただきたい。
この計画については分からないことがたくさんある。屋内退避とは何だろう。屋内退避の時間はどのくらいかかるのだろう。2~3日かかったら食べ物どうするのだろう。その時インフラはどうなっているのだろう。あるいは屋内退避は解除されるのだろうか、いろいろ考える。屋内退避一つをとっても想像できない、考えていかなければならない問題がたくさんあるので、国には投げかけをお願いしたい。

予算特別委員会5「賠償問題」

細川
避難に伴う補償について伺う。福島事故の被災者の方々に、事故前の収入から、事故後得た収入を差し引いた就労不能損害補償、避難生活による精神的損害に対する精神的損害賠償金などの補償金が支払われていると聞くが、避難の実態は、帰宅困難地域から指定場所に避難されたケースのほかにも、指定避難場所以外へ避難する方や、自主避難者あるいは個人事業主や法人など様々なケースが考えられる。この福島のケースは、いざという時福井県民はどうなるのかと見ているが。
現状の福島第一原発事故で避難されている方々の補償実態を伺うとともに、万が一福井県で同様に避難が必要になった場合、どこがどう補償するのか、福島の実態と同じような補償と考えていいのか、伺う。
安全環境部長
福島の補償実態は、原子力事故における損害賠償については、原子力損害の賠償に関する法律などにより、電力事業者と国が行うことになっている。福島事故においては被災者等への補償が、これまでにない多額の損害賠償額になっているということで、国が原子力損害賠償支援機構を新たに設置し支援を行っている。その実際の運用は、例えば年間50ミリシーベルト超の帰還困難区域の被災者の方々、約2万5千人に対しては一人1,450万円。例えば4人家族なら5,800万円の損害賠償である。一方、場所が違うが年間20~50ミリシーベルトまでの、いわゆる居住制限区域の被災者の方々約2万3千人は、その区域が解除された後の1年後まで一人月10万円、例えば4人家族なら月40万円の支給となっている。福井県で同様の場合は、原子力災害時の被災者の補償は、災害の規模とかあるいは程度、その都度様々に異なるので、一律にこの問題を論じることは難しいと考えている。
細川
たくさん補償されているところと、子供がいるから帰りたくないということで自主避難している方には補償がないとか、子供を抱えて避難している方々、特に母子が多いが、非常に生活に困窮していると報道があった。また、避難指定が解除されて戻ったら精神的に補償はあるが、1年間で打ち切り。例えば、一番先に帰った川内村の帰宅された方、或いは帰れなくて避難所にいる方々はもう補償が打ち切られている。私の仲間が福島で炊き出し等支援しているが、「米がない」と言われている。「米が無い」なんて他では聞いたことがない。「おかずがない」とか、「温かいものを食べたい」とかは聞いたことがあるが、『米が無い。』そこまでひどい状況に入っている。避難所にお米を持って行ったら、「川内村に残った人たちにもお米をあげたいけど、貰えないか」と言われたそうだ。この年末年始、賠償が無くて米が無い状態にまで陥っている方がいる。広野町であるとか川内村の村長は、何とか賠償を続けてもらえないかと言っている。あるいは、それまでの収入は保障されるとはいえ、例えば農家の方は、農家所得というのは50万から100万の所得になる。そういったところの保障は元々薄いし、地元に帰っても田畑も出来ないということで、今、本当に厳しい生活困窮者が実際に出ている。これから多分、帰宅を許される地域が出てくればくるほど、そういう問題が出てくると思う。多分、机上ではちゃんとやっているというプランなのかもしれないが、現場では様々な問題があって、今現実に福島の方々が苦しんでいる。十分補償されたと思っているようなところも、つい先月末に商工会の人たちが、打ち切りの周期を示されたそうだ。まだ何も立ち直ってないのに、補償が打ち切られるのかと、商工会として記者会見していたニュースもあった。福島の方々が、そういった問題で新たに生活に苦労されているのを目の当たりにして、万が一、もしかしたら福井県で事故が起こるかもしれない危険性がある時に、そうなるのかもしれない不安はますます広がる。福島のことは他人事とは思わず、そのあたりもしっかり見ていって、今福島の方々が困っていることに手を貸していくべきだと思う。
安全環境部長
福島の実態は、十分把握したいと思っている。現行の行われている損害の状況についても、地元からは国に対して様々な緊急要望を出されているようだし、今回のエネルギー基本計画政府案でも、福島の損害賠償の実態等を踏まえたうえで原子力損害賠償制度の見直しなどにも政府は検討すると言っているので、そういった状況を十分見極めていきたいと考えている。

2014年03月06日

2月議会6

さて、憲法には4回も「公共の福祉」という言葉が出てきますが、これは「人権相互の矛盾・衝突を調整するための実質的公平の原理」という意味です。私は、「子供につけを回す」というのは、世代をまたいだ「公共の福祉」にも反すると考えていますし、「『原発のゴミはどう処理するのか』といった未解決の課題を先送りしてしまうこと」と、「大きな財政負担を残してしまうこと」、この二つが特に大きな「子供たちへの『つけ』」だと思っています。

こちらをご覧ください。今年1月NHK時論公論「政治とどう向き合う~若い世代は」という番組で紹介された、世代ごとに生涯を通じた受益と負担の差額のグラフです。
道路などの社会資本や、医療や介護といった公共サービスから受ける「受益」と、それを受けるために必要な税金や保険料などの負担を差し引くと、60歳以上は5,000万円近く受益が上回る一方、20歳代では負担が1,600万円以上多くなるという計算です。実にその差は6,500万円を超えます。さらに、20歳代未満の将来世代と比べれば、その差は9500万円に迫ります。これでは、次の世代に申し訳ありません。
しかしながら、現行制度で利益を得ている側が自ら率先してそれを手放すのはで簡単ではありませんから、格差是正のためには、若者がもっと政治に参画して声を上げることが大事です。また同時に、我々がもっと声の弱い子供や若い世代に配慮する必要があります。福井では、若者や子供を大事にしているでしょうか。

例えば、ずいぶん前から若者たちがBMXやスーケーボードなどストリートスポーツの雨天練習場を求めており、議会でも私だけでなく石橋議員、鈴木こうじ前議員なども取り上げています。これらは学校に導入されるダンスも含め「エクストリーム」と呼ばれるこれからのスポーツで、ソチオリンピックスノーボード男子ハーフパイプ競技で若い日本人選手がメダルを獲得したのが記憶に新しいところです。
福井で練習している若者たちは、高架橋下や県営球場の内野スタンドの下、河原など、苦労して場所を見つけて練習しています。石川県小松市まででかけていって練習しているとも聞きます。ちゃんとしたパークのないのは全国でもあと2~3の県だけで、福井からプロも出ましたが、福井は練習環境にないと岡山に行ってしまいました。県外でなければ成長できないのです。
こういった若者の要望は、結局後回しにされてしまう。

また私は、今議会の議案に児童相談所関係の議案がありましたので、先週福井と敦賀の児童相談所を視察しましたが、まず驚いたのは、施設の古さと暗さです。天井の低さや内装の色からそう感じたのかもしれません。児童相談所は、児童福祉の中核をなす相談施設であると思いますが、悩みがあって利用される方の心情を、さらに重くしてしまうのではないかと心配するほどです。また、職員が、特に電話対応をされていた方々がたいへん忙しそうに見受けられました。児童虐待に対する対応などは、他機関との連携や家庭訪問など、解決に時間がかかり、相談者の方への対応に、十分時間が取れる環境が必要です。

① そこでまず、児童相談所の近年の相談内容の傾向、相談解決の状況を伺います。

② また、こども療育センターを利用される方も多くおられますが、そことの役割分担や児童相談所の位置づけをお聞かせください。

③ 加えて、児童相談所について少しでも早く改築すべきと思いますが、今後の予定を伺います。

④ あわせて、雨天でも練習のできるパーク設置について、今後の予定を伺い質問を終わります。

2月議会5

よく「エネルギーに関し、福井は国に貢献している」と言いますが、国や電力消費地は福井県民のことを誠実に考えているのでしょうか。もし福井県民を尊重しているのであれば、停止中の原発に関連する事業所に対する経営支援や、廃炉に向けた事業転換の支援を国自らが行っていただろうし、もしもに備えた避難手段を、国自らが率先していち早く構築するのが道理だろうと思います。


さて、ドイツのエネルギー転換は、脱原発で失われる電力を、「近隣諸国の原発で作られた電力で安易に埋め合わせない」「CO2を排出する化石燃料で、安易に代替しない」「安易な電力価格の引き上げによって補わない」など衝突し合う目標を、適切にバランスを取りながら進めるという方針です。
全発電量90ギガワット中、20ギガワットが原発から作られる電気量だから、今後10~20ギガワットの電力容量を、コジェネレーション対策や省エネ、再生可能エネルギーなそで補う必要があるそうです。現状、当初の予測より急激なスピードで再生可能エネルギーによる分散型電力が伸び、20ギガワットどころか、2019年までに約30ギガワットを担う50の発電所が増設されると連邦エネルギー・水道事業連合会は見ています。また既に、バイオマス発電がベースロード電力需要をまかなう安定電力を供給できる体制にあるのだそうです。

日本では、ドイツの取り組みの困難ばかり伝えられている気がしますが、実際行ってみると、連邦も州政府もエネルギーエージェンシーも地方自治体、民間団体、国民個人とも、同じ目標に向かって着実に歩んでいると感じます。世界が注目するドイツのエネルギー大転換がもし成功すれば、かれらは目論見通り、再生可能エネルギー関係の設備やサービスの輸出国として世界をリードし、雇用と地域経済活性化につなげるでしょう。
訪問したエネルギーエージェンシーでは、サウジアラビア省庁と省エネのモデル契約を行っており、モンゴル・中国にもすでに輸出していました。また現在ドイツ経済は「EUで一人勝ち」と言われる好調をキープしています。
彼らの挑戦の結果は、今後10年を待たずして見えてくるはずです。
さて、福井はその頃どうなっているでしょう。
原発はどのくらい動いているのか。止まっているのか。廃炉は進んでいるのか、ほかの産業は強化され、原発依存から脱しているのか。ここ近年の判断がそれを決すると思います。

④ ついては、知事は、本県の20年後、50年後の将来の原発の稼働や廃炉に関し、どう見込まれているのでしょうか。知事の思い描く若狭地域の姿をお聞かせください。

2月議会4

 「推して知るべし」とは「事実を根拠にすれば簡単にわかる」ということです。現実、「火力発電所なら大都市近郊に作るが、原発は地方に作っている」状況です。
昨年12月末に、内閣府副大臣も出席された第2回産業競争力会議フォローアップ分科会で、エネルギー基本計画について議論されました。
席上、原発は即再稼働と考えている規制改革会議創業・ITワーキンググループ座長から
「『反省』、『世界で一番厳しい』という言葉があるが、空の言葉が踊っているだけではないか。」「そもそも軽水炉である以上、炉心溶融の可能性がゼロになることはあり得ない。だからそのテールリスクがあるということをまずはっきりさせなければいけない。ひょっとするととんでもないことが起きるが、それにもかかわらず、我々が原発というオプションを捨てられないのはこういう理由なのだということが説明されていないのはなぜなのか。もちろんここにおられる方々は分かっているけれども、政治的に書けないとおっしゃるのだと思う。しかし、それを書かないでどうやって人々を説得するのか。」
という意見が出ました。そして、それに対し経済産業省大臣官房審議官が
「一番重要なのはリスクの問題だと思っており、本文に書いてあるが、まず安全神話との決別というのが重要だと思っている。残余のリスクは常に残るということを明確に言うことが今、我々のポジションである。いかに安全神話から決別するかということが極めて重要な課題だ。」
「エネルギー基本計画にどう書くかという問題はあるのだが、我々の問題意識としては、リスクがゼロではないということと、そのリスクはトップマネジメントに直結しなければならないということについては、極めて座長と同じ問題意識を持っている。」
と答えています。さらに、
「今は危ないことが起こるということも分かってしまった中なので、残余のリスクがあるということを前提の上で再稼働はお願いしたいと思っている。それは逆に言えば、いざというときの防災計画もセットだということである。あまりこういうことは起こってほしくないので、おそらく3.11前にはやらなかったと思うが、例えばヨウ素剤を配るというところまでしっかりやった上で再稼働はしていくということだと思っている。」
とも述べています。ドイツと同様、日本も「原発にはリスクがある」と認めています。我々は、原発は安全だと聞かされてきましたが、その認識は福島事故で、すでに変わっています。ただ、そのことを誠実に説明されていないだけです。

③ 知事、立地自治体として、国に対し、「原発のリスクはゼロでない」ということについて、あらためて、説明を求めていくべきと考えます。所見を伺います。

2月議会3

さて翻って我が国のエネルギー基本計画の策定経緯ですが、相変わらず経産省のお膳立ての元、事故以前同様の手順で計画が策定されています。そこでは、「科学的・技術的」な議論、あるいは「経済的」な議論はなされてきましたが、残念ながらドイツが重視した「倫理的に原発はどうか」という観点での議論はほとんど聞こえてきません。
ドイツの倫理委員会では「原子力エネルギーと放射性廃棄物のリスクを誰が担うのか。」あるいは「もし原子力が安全ならば、なぜ多くのエネルギーを消費している人口の中心地から遠く離れた田舎に原発が建設されるのか。」などという問題に真摯に向き合いました。日本でもこうした「倫理的」課題を多くの人が抱いています。小泉元首相の「核のゴミ処分場のあてもないのに原発を進めるのは無責任だ」との投げかけは、まさにこの倫理的問題の論点の一つです。

「子供たちにつけを回してはいけない」という「世代間正義」や、「どこの地域がリスクを担っているのか」という「地域間倫理」に関し、国民的理解が必要です。「科学的」「技術的」「経済的」議論をもとにした説明だけでは、国民の多くが抱いている「倫理的」な疑問を払拭することは困難です。「原子力エネルギーを利用する」とはどういうことなのか、「原子力エネルギーと放射性廃棄物のリスク」を誰が担うのか議論し、社会に示すべきです。

② 知事、日本でも原子力倫理委員会を設けて、より深い、道徳的・倫理的課題を検討するよう国に要望すべきではないでしょうか。御所見を伺います。

2月議会2

さて先日、エネルギー基本計画の政府案が示されましたが、西川知事は「原子力の重要性について政府としての認識が示された」としつつも「政府が国民を説得して信頼を得ながらすすめるべき」と述べておられます。
そこで、国民合意のもと困難なエネルギーの大転換に挑んでいるドイツの経過と比較して思うところを述べます。

ご存知のとおりドイツは冷戦・反核・チェルノブイリ原発事故を経て、12年前に2022年をめどに脱原発を決定しました。その後、原発擁護派のメルケル首相が就任し、原発の可動を2034年までと延長したのですが、その翌年に、福島第一原発事故が起こりました。当時毎日24時間、福島から中継が行われ、ドイツ国民に大きな衝撃を与えました。
そんな中、メルケル首相は二つの委員会に意見を求めました。ひとつは原子力の専門家である技術者らが「ドイツの原子炉の安全評価」を行う「原子炉安全委員会」。そしてもう一つが「『将来世代への責任』という問いかけを中核に倫理的に原子力がどうか」ということを話し合う「安全なエネルギー供給に関する倫理委員会=原子力倫理委員会」です。

ドイツには国が設置する倫理委員会の長い歴史があり、「クローン技術や受精卵の着床前テスト」など、科学技術が道徳や倫理に抵触する可能性がある場合には、学識経験者を集めた倫理委員会に提言を求めるのだそうです。
「人は技術的に可能なことをなんでもやって良いわけではない」という基本命題をきちんとふまえ、「科学と倫理のバランス」を常にチェックしています。ドイツの安全な未来と発展は「保全された環境」「健全な経済力」そして「社会的正義」の3つの柱の上に成り立つと考えているからです。
ハイテク王国日本で起きた福島事故は、ドイツでも、原発の安全性に関する専門家の判断に対する信頼を揺るがしました。そして、事故が起きるとわかった以上、もう「残余のリスク」は受け入れられない、技術者の想定能力に限界があるのだから、「原子力問題については技術偏重から脱し、社会的に広い見地から分析せよ」と、急遽倫理委員会が設置されたのです。

私は、倫理委員会のメンバーであるミランダ・シュラーズ博士から直接お話を伺いました。
「倫理委員会」の設置期間は事故直後の4月4日から約2ヶ月間で、シュラーズ博士はじめ各界から選ばれた17名の委員による集中討議とともに、「大切な議論は小さな委員会の中でやるべきではない」と、2日間12時間に及ぶテレビ公開放送を行い、150万人の国民が視聴したそうです。社会で意見の対立からの誹謗中傷が生じてきていたそうですが、委員会では違う意見を持つ相手の人格評価することなく、互いに敬意を払いながら討論するという姿勢が貫かれたそうです。
二つの委員会の結果ですが、まず「原子炉安全委員会」は、「航空機の墜落を除けば比較的高い耐久性を持っている」とドイツの原発の安全を報告しました。しかしメルケル首相はそれに従わず、それまでの方向性を180度転換、「ドイツでは、原子力発電をもっとリスクの少ないエネルギーで代替できる」「ドイツは再生可能エネルギーの開発・利用・輸出で世界をリードする」という倫理委員会の「脱原発・エネルギーの大転換」の報告を尊重し、当初の予定通り2022年までにドイツが脱原発を行う決断を行いました。

2月議会1

昨年ドイツに行きました。
ドイツはナチの大量虐殺など困難な歴史を抱えています。そして、世界で最も民主的だと言われたワイマール憲法下でありながら、ナチの台頭を容認してしまった反省から、市民が自分の意見を形成し、事実に即した判断をくだし、責任ある行動を起こせるようにと、連邦や州がセンターを設け「政治教育」を行っていました。
政治教育では、具体的にドイツの歴史を見せ、「選挙に行かなかったのでこうなった」と教えます。負の歴史と向き合い、安定した民主主義の必要性を説き、「市民が民主主義の責任を担う力を身に付けること」を教えます。
さらに、「民主主義の原則は意見の多様性で、ひとつの問題でもいろいろな立場や考えがあること」を伝え、「一人ひとりが自分の意見を形成できるようにすること」が目的だとセンターのヨアヒム先生は語りました。だから、ひとつの政党の考えを教えるのではなく、政治を取り巻くありとあらゆる広がりを教えます。たとえば、「原子力エネルギーの問題」では反原発と推進のそれぞれの立場の資料をもとにディスカッションを行います。センターはあくまで中立の立場です。
さらに「ひとつの情報源しか持たない若者は洗脳されやすく危険だ」と、情報基礎教育にも力を注いでいました。
民主主義とは、根本に「市民の責任」があってのことだと、あらためて突きつけられましたし、これこそ、「ドイツは民主主義の優等生」と言われる所以だと感服しました。

また、ヨアヒム先生は「日本の低い投票率は民主主義の危機だ」と指摘しまいた。私は「どきっ」としました。NHKの大河ドラマ「龍馬伝」の中で、松平春嶽の隣にいた横井小楠が、坂本龍馬に「デモクラシー」を説くシーンが脳裏に浮かびました。
これは日本でも、教育の根幹です。教育基本法第1条に「教育の目的は、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた国民の育成である」と謳われていますし、第2条の中には「公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。」と目標が謳われています。それなのに、「政治離れ」が起こり、投票率は危機的に低いのが現実です。

① 民主主義の重要性を考えると、教員はもっと意識して教育にあたる必要があると思います。「民主主義社会の形成者としての資質を養う」具体的手立てについて研修に取り入れるなど、あらためて教育の場で問うべきと考えますが、教育長のご意見を伺います。