2月一般質問8(教育行政)
ゆとり教育について伺います。
昭和45年、小学校6年生の総授業時間数は年間1085時間でした。それが完全週5日制を経て、1998年には945時間と、実に30年間で140時間減少しました。総合的な学習が導入され、その分さらに教科時間数が削られ、国語を例にすると、年間245時間から175時間へと、実に70時間も減少しています。こうした状況から学力低下が問題化し、第1次安倍内閣で、ゆとり教育の見直しが始まり、近年の新指導要領改訂でようやく若干ながら学習内容が増加しました。小学校から順次「脱ゆとり教育」に転じ、この春からは高校でも1年生から新指導要領による教育に変わります。
ゆとり教育の開始前に、都会の私立学校の先生が「子供たちは幼児期からお受験で忙しく、学校では遊ばせなきゃいけないのよ。」とおっしゃいました。でも私は、「福井の教育事情とは違う。福井は公立学校が多くお受験ブームにはない。だから、福井にゆとり教育はそぐわない」と思っていました。しかし結局全国一律にゆとり教育が行われ、本来しっかりと身につけさせるべき基礎基本の学習がおろそかになったと、私は忸怩たる思いでいました。
現在キャリア教育やサイエンス教育の必要性が叫ばれていますが、それもかつては小学校1・2年生の社会科や理科でちゃんと学ばせていました。理科では、朝顔を育て、花の色水に酢や重曹を加えて色の変化に驚き、科学の不思議さ・面白さを体験しました。小学校2年生の社会科では地域の仕事を調査、近くの郵便局に見学に行って、集配や仕分けの仕組みなどを学びました。当時ご説明いただいたのが石橋郵便局長で、やさしくわかりやすいご説明に、「郵便局の仕事ってすごいね~。」と感激して帰ったものです。
「ゆとり教育」のために、それらをなくして生活科に変更してしまったことを本当に残念だと思っています。
また、多くの時間を「総合的な学習」に割かれました。「自ら課題を見付け,自ら学び,自ら考え,主体的に判断し,問題を解決する」と、聞こえはいいのですが、活動内容に定めはなく、「児童の学習状況に応じて教師が適切な指導を行う」という自由な時間は、教員の力量に大きく左右されるものです。
日本ではかつて、同じような「自由研究」という特設時間を儲け、研究と実践がなされたことがあります。戦後の昭和22年のことです。教師に委ねられた新しい教科は、福井県の教育百年史によると、「新教育の趣旨を踏まえた理想的なプランだったが、現場にそぐわずいろいろな問題点があった」「教師自身の能力不足により、もてあます一面もあった」ということで、後に廃止されています。私の感じている総合的な学習の問題点と同じです。教師の力量に左右されたり、多忙な現場ですから準備が追いつかなかったり、多くの時間を費やして、成果が芳しくなかったり、水面下では問題がたくさんあります。
安倍首相は教育改革に取り組み始めましたが、今度は、都会感覚での改革ではなく、本来子供の人格の完成のためにどんな資質が必要で、それらをどういう教育で身につけさせるのか、しっかりした「学力保障」の方向性を定めてほしいと考えるところです。
⑭ これまでの「ゆとり教育」とはなんだったのか、これによって福井の教育はどう変化し、そして今後はどういった方向に進むべきなのか、今、総括をし、そして、教育県ふくいから、今後本当に必要な教育は何かということを、国に対して述べていくべきと考えます。県のご所見を伺い、質問を終わります。