6月議会
明日は一般質問です。
県議会は一問一答ではなく、市議当時にはほとんどやらなかった「原稿書き」を行いました。
順次、ご報告します。
まずは前段・・・。
細川かをりです。質問に先立ちまして、東日本大震災で被災された皆様に心よりのお見舞いと、亡くなられた方々に哀悼の意を表します。
さて、県内で原子力発電所が稼働を始めたのは、私が小学生のときでした。子供には原理原則のよくわからない「原子力の火」が敦賀半島にともったのです。私は、半島の美しい景色や原発プラントを見に、よくドライブに連れて行ってもらいました。
そのたびに、半島の先の丹生集落に住んだことのある母が「昔は海沿いの、山の裾を削った道を歩いて通った。」と話しました。敦賀高校で学ぶために高校生ながら敦賀市内に下宿をし、週末には、美浜駅から自宅まで、岩の間を通ったりがけの崩れたところを避けて歩いたり、時には嵐の波で削られたところに30㎝ほどの幅の板を渡して通ったりして、4時間かけて歩いて帰ったそうです。また、雨風やがけ崩れなどでよく電線が切れ、停電もしょっちゅう…。紅白歌合戦をラジオで聞こうとした途端に停電になり、がっかりしたこともあるそうです。「原発のおかげで道がついた。道がほしかったから原発を受け入れたのではないかな。もし、政治が道をつけていたら、原発はなかったかもしれない。」と、今、しみじみ語ります。
歴史を振り返れば、地域発展のためにさまざまな葛藤があり、その時々で最良の道を選択しながら、今日の福井の豊さが築かれてきたことを強く感じます。
しかしながら、東日本大震災がありました。私たちは、人智をもってすれば「絶対安全」にコントロールできると信じていた原発が、あっけなく崩されてしまう「自然の凄さ、恐ろしさ」を目の当たりにしました。これまで地域と共にあり、福井の発展には欠かせないとされてきた原発が、実は「地域を巻き込んだ『破滅』につながるリスクのあるものだった」と改めて思い知らされたわけです。
この福島の教訓を得て、日本一の原発立地県である「福井」が、今後どういう道を選ぶのか、次の世代に何を残すのか、この第93代福井県議会の判断は、ある意味、歴史的なものだと思っております。(続)