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2007年04月29日

兵庫県豊岡市の

中貝市長から、書籍を頂きました。
「河川文化」 ―河川文化を語る会講演集〈その23〉―
です。中にはいろんな方の5つの講演記録が掲載されており、中貝市長は特別講演として最後に登場されています。
題は「水害とコウノトリの物語 ―豊岡の挑戦― 」です。平成16年の台風23号での水害時の災害対策から現在に至るまで、市の取り組みが綴られています。
早速に拝見しました。
忘れもしない平成16年(福井豪雨や中越地震のあった年です)、10月には日本中を台風23号が襲いました。それに伴う大量の雨で、豊岡市を流れる円山川の水位が急激に変化します。そして堤防決壊、被災、避難・救助、災害ゴミとの戦い、ボランティア等の支援・・・その時の様子が、苦悩とともに描かれています。私も「福井県災害ボランティアセンター連絡会」が出石町(現豊岡市)に出したボランティアバスのナビゲーターとして、被災後でどろどろの出石町や豊岡市に何度か伺ったので、当時を思い出しながら読み進めました。
中でも「災害対応の検証」の項では、災害時の災害対策本部での判断を「追体験していただきたい」とのことで、状況の変化とそのときの市長の判断や対応が、時系列で詳しくリアルに述べられています。首長として迅速に精一杯災害対応をされておられるのに、それでもどんどんと川の水位は上昇し、危機対応とその判断が次々と迫られます。そしてついに起きてしまう闇の中の堤防決壊、被害・・・その文章には「災害対策本部は機能不全に陥ります」「できることはもう何もありませんでした」と書かれています。
文章で書かれた「追体験」なのですが、中貝市長のお気持ちを慮ると胸が締め付けられ、涙が出ます。
またそこには、「避難情報の出し方」や「災害に対する3つの備え」など、まさに「災害から得た教訓」が書かれています。災害を経験された市長の言葉はたいへん『重く』感じます。そして、それらは何処にでも当てはまる事であるわけで、私の住むこの「越前市」でも教訓とし、災害対策に是非とも取り入れなくてはならない事ばかりです。
今立も、福井豪雨で被災をし、死者も1名出しています。
でも、残念ながら行政としての災害検証は目にも耳にも入ってきません。私は山のようにやらなくてはならない事があると思っているのに・・・。
だから、中貝市長の「災害から真摯に学ぶ」姿勢はたいへん尊いと感じます。
その姿勢があるから、その後のまちづくりでの「ビオトープ水田」「自然との共生」「コウノトリの歴史的放鳥」へと繫がったわけです。
感銘を受けるとともに、書籍を送ってくださった中貝市長に、心より感謝と尊敬の念を表します。


2007年04月21日

安心・安全なまちづくり

昨年の初議会で、「自主防災組織の育成」や「非常時の情報伝達」などについて、今年の3月議会で「地域防災計画の見直し」について・・・などを質問しました。
「地域防災計画の見直し」では、給水計画を「1人3リットル(生命維持必要量)」から3日目以降は増やして、応急の生活のために必要な量にする計画に見直すことを、その場で回答いただきました。
(水道部長さん、えらいっ!~\(^o^)/~)
そしてさらに、新年度に予算付けをした事業(災害時要援護者対策や自主防災組織の育成補助事業など)が進み始めます。(↓P9)
http://www.city.echizen.lg.jp/mpsdata/web/5391/kouhou4gatsu.pdf

安心・安全なまちづくりに向けて、少しずつ進んでいただけていることを、たいへん喜んでいます。

2007年04月13日

「頭+口」 VS 「手+足」

「仕事」って何だろうと、教員を辞めてからよく考えます。
市民活動をやってても、地区の仕事をやってても、ボランティアセンターをやってても、「仕事」って「頭と口」タイプの人と、「手足」を動かすタイプの人とがいらっしゃるなって思います。
教員は「頭と口」タイプ。だから私は、仕事ってそういうものだと無意識に思っていたかもしれません。でも今、「汗をかく」事がいかに大事か尊いか、つくづく感じています。そしてまた、そういう「手足を動かす人」が少ないという現実も実感しています。
「こういうことをやった方が良い」などと意見を言う人はけっこういらっしゃるように思いますが、いざそれを実行となった時に、動く人がいない・・・なんてことがしばしばあるからです。
動く人を見つけるのって本当にたいへん・・・。
また、「現場主義」っていう言葉も、このごろ良く耳にするのですが、それって「汗かく人を大事にする」ってことじゃないのかと思います。
教員時代の「頭と口」だった私は、「仕事」の捉えが浅かったと反省しています。
もしもう一度子供達に語る機会があったら、「理想論や理屈より行動だ」とすご~く強調したいな・・・。

2007年04月12日

追悼

明治生まれの祖父の葬儀に当たり、かつての部下だったお寺さんがお経を上げてくださいました。送別に際し、「哲学のある人生」とか「教師道に邁進した」などという言葉を送ってくださいました。思わず涙・・・です。
横たわる祖父の身体は布団いっぱい・・・身長は180cm近かったのだとあらためて知りました。リハビリ用のシューズは、特大でも間に合わなかったそうで、お棺も190cmの特大。
遺骨を見てさらに驚きました。
これが97歳の骨かとおもうほど、太く美しく立派です。私は骨に見とれてしまった・・・。
長生きをしただけあって、健康で頑丈です。
彼のDNAを最も色濃く受け継いでいるのは誰だと、側にいた親族一同顔を見合わせました。でも、大勢いる子・孫・ひ孫を見渡しても、誰一人、この祖父にはかないそうにありません。
文武両道でしたから、鍛え方も並みではなかったようですが、鍛えれば骨も変わってくるのでしょうか?
柔道五段、野球部主将、スキーは山へ行ったら何週間も帰ってこないと聞きました。
祖母亡き後も1人暮らしを続けるほど人の世話になるのを拒んだ祖父も、最後の4ヶ月は、寝たきりになり、長男夫婦の家に移りました。そんな祖父が「入院し 動かぬ我の 身体かな」と書いた俳句を見つけました。
無念、無常と思っていたのではないかと思うと、また、涙です。

2007年04月09日

ゆずり葉 (河合酔茗<かわい・すいめい>)

子供たちよ。
これはゆずり葉の木です。
このゆずり葉は
新しい葉が出来ると
入り変わってふるい葉が落ちてしまうのです。

こんなに厚い葉
こんなに大きい葉でも
新しい葉が出来ると無造作に落ちる
新しい葉にいのちをゆずってーー。

子供たちよ。
お前たちは何をほしがらないでも
すべてのものがお前たちにゆずられるのです。
太陽のめぐるかぎり
ゆずられるものは絶えません。

かがやける大都会も
そっくりお前たちがゆずり受けるのです。
読みきれないほどの書物も
みんなお前たちの手に受け取るのです。
幸福なる子供たちよ
お前たちの手はまだ小さいけれどーー。

世のお父さん、お母さんたちは
何一つ持ってゆかない。
みんなお前たちにゆずってゆくために
いのちあるもの、よいもの、美しいものを、
一生懸命に造っています。

今、お前たちは気が付かないけれど
ひとりでにいのちは延びる。
鳥のようにうたい、花のように笑っている間に
気が付いてきます。
そしたら子供たちよ。
もう一度ゆずり葉の木の下に立って
ゆずり葉を見る時が来るでしょう。
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本日、敬愛する祖父(育ての親でもあります)が他界しました。
大きな葉っぱが落ちて、あとに残った私は、どんな葉なのだろうか。
質実剛健、祖父の意思を少しでも、受け継ぐ事ができているのだろうかと
自問自答し、先人の残したものを次の世代に継いで行く重さを、
噛み締めている次第です。

☆。.:*:・'祝!**:・'゜☆

統一地方選挙前半戦!
私の所属するNPO法人ふくい災害ボランティアネット顧問の東角みさお氏が、激戦区を勝ち抜き、当選されました。
なんと県内トップ得票数でした!
・:*::*:・'゜☆。.:*:・'~\(^o^)/~゜★゜'・:*:.。.:*:・'゜☆*・。
また、賛助会員の県議の皆様も、全員それぞれの選挙区でご当選です!
おめでとうございます!!心よりお祝い申し上げます!!

2007年04月07日

春は・・・

旅立ちの季節です。
元の教え子達の何人かが、高校へ進学し、報告しに来てくれました。
息子もそうです。高校を卒業し、大好きな少林寺拳法の修行に禅林学園(香川)へ。
頭を丸刈りにして、わくわくどきどきの心境のようです。
また、福井赤十字救護奉仕団及びNPO法人ふくい災害ボランティアネットの、中核で頑張ってくださっていたTご夫妻も北海道に旅立ちます。
シュタイナー学校というところにお2人で就きます。彼等の理想郷がそこなのだと思います。
前向きな旅立ちはとてもとても喜ばしい事なのですが、見送る方はやはり寂しいものです。
「会うは別れの始まり」です。
だからこそ一瞬一瞬の人との交わりを、大事にしたい。慈しみたい。
そのためには、自分がどうする事が、相手にとっていいのか・・・
さらには私は議員であるので、自分がどうする事が、社会のためにいいのか・・・
難しい課題に向き合って、もがいて、答えを模索している自分が、
やっぱり最後には残るのだなあ・・・・な~~んて、別れの季節に際し、感傷的になっております。